「学ぶ」ということ
5月に宣伝会議のWEBディレクション講座という全10回の講義で
講師をやらせていただきました。
人に何かを教える、というのは非常に難しく
そういえば、佐野さんも徳田さんも竹内さんも講師やってんだなぁ、すげーなぁーなんて
今度、コツを教えてもらおうと思います。
結局、一番受けたのは僕の「ボツ案集」だったのですが、
デザイン雑誌とかでも手書きのラフとかついつい見ちゃうのと同じように
こういう奇麗じゃないところ(地味なところ)っていうのが
実は一番面白いのかもしれませんね。難しいものです。
僕の師匠が先日東京で講師をしたらしいのですが、
その感想の終わりにこんなことを書かれていた。
『変化が激しい時代には、学ぶ者のみが未来を受け継ぐ』
今の経済状況にしろ、クライアントの予算から、ずいぶん不況の影響というものを
体感できるわけですが、1年以上前の僕のキャパを今の僕がはるかに越えている。
それは多忙を極めるなか、決して潰されず二足の足で立っていれている。
そんな中、成長してるな、と何故か毎年梅雨入りあたりで思う。
多くの失敗から、多くの経験を得たことは確か。
失敗は何事にもつきものですが、一度失敗しても次は絶対に失敗しない。
そこには確実に学びがある。
僕の嫌いな人間は、
自分で調べたら済むことを、調べもせずに他人を頼る人間。
まずは調べるべきだ、と教えても何度も忘れてすぐに聴く人間。
そこに一切の学ぼうとする姿勢はない。辛口ですが。
調べて、結局結論にいたらなかった人が
「いろいろ調べたんだけど、どうしてもここがわからない」
という相談は、どうだろうか。
そこにはどうしても学んでおきたい動機が感じられる。
子供の頃は、色々な挑戦をして失敗をしてけがをして相手を泣かせてしまったり、
道に迷ったり、両親に迷惑をかけたり、そんな経験を積んできたはずの大人が
なぜか些細なことを気軽に聞いてくる、やはりそこには学びはないし、
学ぼうとする姿勢がないのだ。
あ、やばいかも、という人がいれば
友達などにインタビューしてみるといい。
その人の生い立ちや価値観、これまでの経緯、今の仕事に至る理由、将来の夢。
そういったものごとを紐解いていくうちに、その人の根源的なポイントが気になってくる。
それは有名人でも、居酒屋の店長でも、疲れたサラリーマンでも同じで
その魂がどのような色で燃えているのか、弱い灯火なのか、強い光なのか
何層にも覆われた人の心を様々な興味から紐解いていくことの楽しさ。
その感覚は、まさに「学び」そのものだと僕は思っている。
激動する時代の中で「なぜ、どうして、どのようにして」そうなったのか、
そうならざるを得なかったのか、推察する癖。これは大事なファクターではないか。
僕が嫌悪するのは「なぜ」としか問えない人である。
自分が失敗したときに、
「なぜ」からスタートし、「どこで」失敗が発生し、「どうして」そのようなことが起こったのか、
「どのようにして」それを二度と起こさないようにするか、
自分自身のことを深く掘り下げることを欠く人間は「なぜ」しか言えない。
そういう人に成長は訪れないだろうし、年を重ねるごとに誰も答えを用意してくれなくなる。
大忙しな日常の中でも
そのようなことを見つめ直す時間は5分でもとれるはず。
すぐに人に頼るという癖は今のうちに捨てておくべきだと僕は思っている。
未来が僕に微笑むかどうかは定かではないが、
たった一つの些細な努力が十年後、二十年後の自分にとって
どれほど有用なものかを想像してみると
1日1日の積み重ねがどれほど大事なものであるかを痛感することができる。
そんな自分が嫌悪する人間にならないためにも
毎月、毎月、欠かさずインタビューを重ねている。
今月は2回目となる高木正勝さんへのインタビュー。
17日に新作「タイ・レイ・タイ・リオ(大きく揺れ、小さく揺れという意)」が発売された。
僕は一足先に聞かせてもらったが、彼の変化を受け止める姿勢と
発する音からは様々なものからの学びを感じずにはいられない。
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