「芸術は可能か?」という問いに主語は無い。
それぞれにとって都合のいいように、あるいはもがき苦しむために、
その問いに向き合うことができる。無視することもあって然り。

僕はアーティストではない。
でも、一方ではアートのまわりをひっそりと生きている。
展覧会を企画し、作家の制作に関わり、
作家たちと一緒に鍋を囲み朝まで酒を飲んでくだを巻いたりと、
たくさんの無駄話とともに語らう。

そんな、アートとの個人的な関わりのなかで、自分自身のなかにも「芸術は可能か?」に似た問いが生まれることがある。それは個人と個人の関係の中で(僕自身と作家、観客と作家など)生まれるということよりも、その周辺、さらにそのまわりにある社会状況がそうさせてしまうことの方が多い。

僕は、自分の中に生まれる「芸術は可能か?」に似た問いに向き合うための方法が
ある場所を知っている。

言わずと知れた危機とも言える社会状況下で、
友人たちが生きる術を失うこともある。そして自分にも。
家を失ったり、借金を抱えたり、そのせいで彼女にふられたり……、
そして人は簡単に生きる希望を失うことができる。
それは現代に限ったことではなく、人間の営みが生まれて以降起こり続けていることである。

では、その絶望の淵とも言えるそんな場所から人はどうやって自由になれるのだろう。

現代の社会は、その領域から漏れてしまうものを排除しがちだ。
その結果、そこに存在した人や事柄を無かったことにする。
その社会を構成しているのは私たちで、その私たち人はついつい忘れてしまう。

そんな絶望の淵で、ついつい忘れがちな人が経済や思想、社会構造から自由になるためのアイデア、またはそのアイデアのためのヒントが、僕が作家や観客たちとしてきた語らいの中にこそある。
きっとそれは芸術領域だけのことではない。
でも、「現代」というキーワードを持った時、
芸術家という宙に浮いた存在が放つ言葉や表現のみが、
自由を獲得できると信じている。

あと、ダンスミュージックも。

東京・六本木の森美術館で「芸術は可能か?」をテーマに”六本木クロッシング2010展”という展覧会が開催されている。昨今の芸術見本市的な芸術祭/アートフェアの中で、作家の選出、クロッシングとしての主旨の捉え方、作家の創造性ともに群を抜いた見ごたえになっている。

六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?
2010年3月20日‐7月4日
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html

森美術館
〒106-6150 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階

参加作家:
相川 勝、青山 悟、雨宮庸介、宇治野宗輝、加藤 翼、小金沢健人、contact Gonzo、志賀理江子、鈴木ヒラク、高嶺 格、ダムタイプ、Chim↑Pom、照屋勇賢、HITOTZUKI (Kami+Sasu)、森村泰昌、八幡亜樹、横溝 静、米田知子、ログズギャラリー、L

キュレーター:
木ノ下智恵子、窪田研二、近藤健一