今回のHearは宇宙物理学の研究者である奥村純さんです。奥村さんは、京都大学大学院理学部宇宙物理学教室に在籍されています。
「宇宙」への興味のきっかけから、最近興味を寄せている「アート」について、奥村さんのこれからと理想とする社会について、ざっくばらんに話して頂きました。
読み応え十分のロングインタビューです。

 

奥村 純

京都大学大学院理学部博士課程 宇宙物理学教室在籍
2004年京都大学入学(2011年11月から3ヶ月間カリフォルニア大学バークレイ研究所に留学中)

 

〜僕の中ではなんとなく「宇宙って面白いな」とか、「科学者ってかっこいいな」といった気持ちが種になっていて、後は自分の中で勝手に膨らんでいきました〜

 

> 宇宙のことを勉強しようと思ったきっかけを教えて下さい。

きっかけは単純なんですが、父が科学系のテレビ番組をよく見る人だったこともあって、ちっちゃい時から「宇宙」が好きだったんです。幼稚園、小学校低学年の頃からそういう番組を多く見ていて、画面に映るロケットや宇宙飛行士が単純にかっこいいなと思ったんですよね。そこから、宇宙が始まる前には何があったんだろうとか、宇宙の外側ってどうなっているんだろうとか、そんな興味が湧いてきました。

 

> そういったことに男の子は誰もが憧れたりすると思うんですが、僕もそうだったんですが、子供の頃って、すぐ他にも興味が移ってしまいます。奥村さんはどうでしたか?

僕もすぐみんなと一緒にサッカーとかやっていました。ただ一方で、頭の中ではずっと宇宙のことがグルグルしていて、その頃から漠然と科学者になるってことは考えていたんです。周りに話を聞くと、幼稚園の頃から将来の夢は「科学者になること」と言っていたみたいで、その通りに生きてきたなと思います。進路も迷うことなく、宇宙のことなら国立の東大か京大だろうって言われていたので、受験して、一度失敗して慶応大学に行くんですが、やっぱり京都大学を受験し直して、今は大学院の博士課程にいます。

誰でも最初の「種」みたいなものは些細なものなんだと思います。「親戚のおしゃれでかっこいいおじさんがデザイナーだったからデザイナーになりたい」みたいに。僕の中ではなんとなく「宇宙って面白いな」とか、「科学者ってかっこいいな」といった気持ちが種になっていて、後は自分の中で勝手に膨らんでいきました。テレビではNHKの「銀河宇宙オデッセイ」(1990年)という番組に影響されていたのと、他にも90年代って科学系の番組が多かったのでよく見ていました。また、当時「ドラえもん」が好きだったのも大きいです。ドラえもんの中で描かれる未来って、小さい頃はよく夢に見ていたじゃないですか。21世紀にはチューブの中を車が走っているみたいな。そうやって、科学ってすごく夢があるんだなという気持ちが大きくなっていったんです。

 

> それじゃ、小さい頃からずっと憧れていたことを実現していってるんですね。

そうですね。ただ、科学者に憧れて、今日までまっすぐ進んできたみたいな言い方をしてしまっていますが、これまで捨ててきたものもたくさんある気がします。例えば「音楽家」になりたかった事です。もともと両親が音大出身だった影響もあって、中学・高校と吹奏楽をやっていました。クラシックが好きで、家の中にはスコアがたくさんあったんです。譜面を見ながら指揮者ってかっこいいなと思ったり、それで音大を目指してみようかなと思ったり、でも結局そちらには行かなかったんです。

僕は浮気性な所もあって、大学に入った最初の3年間は勉強以外のことに熱中していました。部活はオーケストラに入団していたんですが、同時に映画がすごく好きで「京都国際映画祭」のスタッフとして映画に関わらせてもらったりして。とにかくあの頃はほとんど授業に行かずに音楽と映画漬けの毎日で、ある時は映画監督になりたいとか思っちゃたりして、映画の撮り方の本を勉強していたこともあります。そういった「芽生え」みたいなものはいくつもあったんですけど、何か特定のものに没入するということなくて、次々と興味の幅を広げて行ったというか。そういう意味で言うとここ2,3年はアート漬けでしたね。

 

〜そういう視点では、アートの鑑賞も、星を見て宇宙を想像するのも、あんまり変わらないと思います。〜

 

> アートに興味を持ったきっかけになったことについて教えて下さい。

直接的なきっかけは、OOOO(オー・フォー)※さんだと思います。修士2回の時に、研究を初めて2年のタイミングだったんですけど、その頃は研究がなかなかうまく進められてなかった時期と重なっていました。そんな時にたまたま友達が「OOOOっていうのがツイッター上で話題になっていて、いま企画をやっているから見に行こう」って誘ってくれて、実際に企画に足を運んだのが最初の出会いです。それが、同時代ギャラリーでやっていた「¥2010展」という企画だったんです。

自分と同世代の彼らはすごく熱くって、京都のアートシーンを変えようって本気で思っていて、イベントをどんどん打ち出していました。そんな彼らの姿をみて、どこか羨ましい感じがあったんです。僕は彼らのような熱い思いがある訳ではなくて、なんだか停滞していたなと。アート、特に現代アートに対する関心はその辺りから感じるようになりました。自分中にある箱がひとつ開いたみたいな。

 

> いろんな興味を持たれていて、今は「宇宙」と「アート」について特に興味を持たれているという事ですが、好きな事の根本というか、その2つの共通点みたいなものはどんな部分だと思われていますか?

もちろん今の僕は宇宙がメインで、アートはあくまで趣味になるんですが、ただ、こうして二つのものを並べてみると、僕は「歴史」が好きなんだろうなって思うんです。そういう意味ではこれまで惹き付けられていたものは全て一貫していました。

宇宙の勉強って、星や銀河を見ながら、昔の宇宙はどうだったかとか、どうやって銀河が出来て、どうやって太陽とか地球ができたか、限られた情報から真実をひも解いていく作業じゃないですか。たぶん「アート」も同じで、30歳の作家さんがいたら、30年間生きてきたその人の文脈や大切にしている価値観、付き合ってきた人たちがいます。そういう様々なものがあって、30年目にしてある作品ができた。それを見て、作品から作家の歴史を読み込んでいく、この人はどういうものを大切にしていて、何が好きで、どうやって生きてきたかとか「読み込んでいく作業」が好きなんです。そういう視点では、アートの鑑賞も、星を見て宇宙を想像するのも、あんまり変わらないと思います。

 

> 星を見て「あーきれい」だとか思うけど、そこに奥行きを持たせたりする見方を知っている、そう言いう楽しみ方を知っている。例えばアート見ても「あ、きれいね」で終わるのか、なんでこれはこうなっているのかとか、なんでこの人はこれを書いたのかっていう風に探っていくのは似ているのかもしれませんね。

そのつながりでいくと多分音楽もそうですよね。高校時代にクラシックが好きだったのも同じような部分で魅力を感じていたからなんだと思うんです。歴史というか、あの時代の音楽ってとにかく重いじゃないですか。死ぬ気で作ったみたいな曲もあったりして、高校時代に流行っていたような音楽とはテンションが違って見えた。例えば、交響曲第6番「悲愴」という大作を残したチャイコフスキーは、この曲を自身の指揮で初演した9日後に亡くなっているんです。恐らく自分の死期を感じながらこの曲を書いていたはずで、音符一つ、休符一つに人生をかけている感じがするんです。そんなテンションで作られている作品だから、厚みがあって読む側もすごくおもしろい。

 

> そういう重みというか、奥行きのあるものに興味が湧かれるんですね。

作品自体にではなく、作った人に主体において見られている気がします。単純に人が好きなんです。人と話しているのが好きで、当たり前だけどみんな生きている文脈が僕と違っていて、持っている価値観も違うし、おかげで僕がそれまで大事だと思えてなかったものを大事だと思えるようになったり。例えば、アニメに偏見を持っていたけど見始めたらけっこういけるぞ、みたいな。高校の頃はクラシックばかり聞いていましたが、友達の影響で意外と洋楽もいけるじゃんってなって、そこから本当に様々なジャンルに手を出しました。だから今は好きなものが出会った人の分だけたくさんあります。特に趣味に関してはいろんな方向にベクトルが向いていて、ひとつものに固執する事がなくなりました。ただ、歴史というか、作品にその人を見出すという芯の部分は変わっていません。

 

〜宇宙の謎を仮に現在1理解できているとして、それをさらに0.0001増やせるかみたいなことを、全員でがんばってやっているイメージです〜

 

> 宇宙の話に戻ります。日本の中で宇宙の勉強をしている学生はどれくらい、いるんですか?

宇宙を勉強している大学院生で500人〜600人くらいだと思います。毎年「夏の学校」といって、天文を勉強している学生が集まる合宿形式の研究会があります。それにはだいたい300人くらいが集まっているはずです。

大学までの勉強って単純に教科書をどれだけフォロー出来るかってことだと思うんですけど、大学院に行ってから始まる研究は、最初からわからないことを研究するわけじゃないですか、わからないことを、物理や数学を使ってどんどん開拓していくというか。宇宙は(もちろん地球や人間もそうですが)あまりにも謎が多すぎて、宇宙の謎を100としたら、人間っておそらく1も理解できていないんじゃないかなって気がします。仮に現在1理解できているとして、それをさらに0.0001増やせるかみたいなことを、全員でがんばってやっているイメージです。そういう意味ではほんとに地味な作業だと思います。

 

> 奥村さんが「これでいくんだ!」と、主題となる研究テーマは決められているんですか?

超新星と呼ばれる星の爆発現象の研究に関わらせていただいています。しばらくはこの現象を使って銀河の進化などを調べたいなと思っています。爆発と一言にいっても、実際は様々なものがあって「こううい爆発は結構若い星の爆発だぞ」といった情報が観測からある程度分かったりするんです。若い星の爆発がいくつも起こっている銀河があれば、その銀河は若いということが言えたり、逆に年を取っている星が多く爆発していると、その銀河は年を取っているってことが言えます。これらの爆発を手がかりに銀河や宇宙の歴史を明らかにする研究に関わっていたいなと思います。

 

〜子供達に科学っておもしろいんだよ、っていうのをひたすら植え続けて、そこから一人でも種が育てばいいですよね〜

 

> それを調べる事によって、何が分かったりするんですか?例えば宇宙の成り立ちとか。

究極的な意味ではどんな研究もそこに繋がっているんだと思います。ただいきなり「宇宙の成り立ち」に辿り着くということはないので、みんなゴールはそこに置きつつも、一歩だけ進んだぞ、みたいなことをしていると思うんです。そうして足場が一歩固まって、そこをベースにして違う人がまた一歩進んでいく。それを世界中の研究者が協力してやっている印象です。

ただ、宇宙の研究にそれだけの費用対効果があるのかと言われると、正直僕は上手く答えられません。日本には「すばる望遠鏡」というとても大きな望遠鏡があるんですが、あれは確か作るのに400億円とかかかっていて、それはもちろん税金なわけです。望遠鏡自体は本当に大活躍をしていて多くの研究成果を出していますが、そのデータを使っている僕自身が「あなたの研究は社会でどう役に立つんですか?」って聞かれたら、どう答えるか悩んでしまう気がしています。もちろん具体的に「誰かの役に立つ」という分かりやすい話ではないと思うんですが、研究者は税金を使って研究をしているので、そのためには何年間でどういう成果を出して、それはこういう風に役立っていきますみたいなものを世の中に示さないといけないのかもしれませんね。

学問に対してお金をつぎ込めるという点では、やはり僕たちの住んでいる日本やアメリカといった国が単に豊かだというのが大きいと思うんです。学問をするだけの余裕がある国だからやっているのかなという気がします。例えばそれほど財源がないのに、ロマンや夢があるからということだけで望遠鏡を建てようとすると、説得力があまり感じられないですよね。たまたま日本に生まれて、そういう豊かな環境が周りに用意されていたから、自分が興味を持っている勉強ができているということだと思います。

 

ところで僕はハーフなんですが、お母さんが中米のエルサルバドルの出身なんです。小さい国なので、もちろんそこでは大型望遠鏡とかって言っている場合ではありません。このように必ずしも豊かではない国は、純粋科学や大規模装置が必要な学問は発展する余地がなくて、そういうことをやりたい人はリソースのあるアメリカに行きなさいってことになるんだと思います。だから、僕は単にラッキーだからやれているという感じなんですかね。

「科学の意義」という話でもう一つ思ったのが、人間は長い歴史をかけて少しずつ進歩してきましたよね。そこで、一人でもいいから誰かが宇宙の事を考えてないといけないというか、だれもが科学を進歩させることをやめたら駄目で、それはものすごく広い理念的な意味で問題だと思うんです。たとえ規模が縮小する事があっても、宇宙の事をナイーブに考えている人が少なからず必要だという気がします。

僕は「科学コミュニケーション」とか「アウトリーチ」に興味があって、去年、小学校で宇宙の授業をさせていただいたりしました。一見役に立ちそうにないことでも、テレビ番組を通して宇宙の種みたいのが僕の中で育ったわけじゃないですか、僕が受けたそういう影響みたいなものを、他の人にも与えられたらなと思ったりします。子供達に科学っておもしろいんだよ、っていうのをひたすら植え続けて、そこから一人でも種が育てばいいですよね。

 

> どういう授業をされたんですか?

その時は京都府教育委員会のプログラムで、小学校3、4年生を対象に「宇宙ってこうなっているんだよ」と解説をしたり、「地球がサッカーボールだったら太陽はどれくらいでしょう?」みたいなところから始まって、月と地球の位置関係、地上から宇宙までの距離について話しました。子供達に取ってみたら宇宙のお兄さんですね。

事業仕分けが始まって、科学者も外に向けて説明をしないといけないという傾向が強くなっていますが、天文学はそれでもちゃんと説明してきた方だと思います。ただ、これまでに加えてさらに説明していくことをコミュニティ全体が共有しているような気がしていて、実際サイエンスカフェのようなイベントや講演会も増えました。科学コミュニケーション専門のスタッフを置いている大学も出て来ていると聞いてます。

 

> 宇宙に行きたいとかはないんですか?

あります。それは行きたいです。音が無い世界で、目の前に地球があるなんて、絶対ヤバいですよ!

 

> 以前、まったく反響しない無響室に入った事があるんですが、手を叩いてもまったく音の手応えがないんです。とても不安になりました。宇宙はとても怖いんじゃないかと思うんです。

そうですよね、だから宇宙飛行士は真っ暗な無反響室でどれだけの時間耐えられるか、といったメンタルのトレーニングもするそうです。そういえば、アルピニストの野口健が、エベレストに登る度に必ず持っていくものがあるって言っていた話を思い出しました。7、8千メートル級の山には細菌以外の生き物がいないので、臭いの全くない無臭の世界らしいんです。それが不安をかき立てるので、あえて臭いの強い香水を持っていって、判断力が鈍ってしまった時などに香水を嗅ぎながら帰る場所を思い出したりするんだとか。

また、宇宙に行って信仰に目覚める宇宙飛行士がいるという話を聞いたことがあって、宇宙に出ることがどれくらいスゴい体験なのかというのは興味を持っています。よく冷戦が収束していったのは、アポロ11号が始めて地球外から地球の全景を撮影したからだと言われたりしますよね。もちろん冷戦の終結には様々な要因があったはずで、これはただの俗説の一つにすぎませんが、でも当時の人にとっては地球の外から自分たちを見るという経験がそれくらい衝撃的なものとして受け止められていたと思うんですよね。

例えば写真が発明された当時は、撮られた人が自分の写真を見て「これは僕じゃない」って言い出す人が多かったという話を聞いたことがあります。写真に写り込んでいる自分は本当の自分じゃないと考えて、今でこそ誰もが信じているような「写真は真実を写している」という観念を持てない人がいたんだそうです。今考えると不思議ですけど、先ほどの話に惹き付けて言うと、写真を見る行為って自分とか他人を発見する事だなと思うんです。初めて地球の全景写真を見た人達も、それに近い体験をしたのかもしれませんね。そういう意味でも、宇宙に一度行ってみたいなという願望は常にあります。

 

〜小さい時から20年間自分に対して育んで来た熱量を、他人の方にも移そうとしているフェーズなんです〜

 

> 日本で生まれて日本で育ったんですか?

日本にちゃんと住み始めたのは中学の頃からです。それまでは父が青年海外協力隊の仕事をしていて、それについて行く形でメキシコとかコロンビアとか、中南米の国々を転々としていました。京都に住んでからは8年目になるんですが、同じ場所に8年間も住み続けたのは実はこれが始めてで、今ではこっちにいるほうが自然になっています。実家は神奈川にあるんですが、帰っても「みんな関西弁しゃべってない」みたいな違和感を感じてしまったり。

 

> これからも京都に残って研究をされるご予定ですか?

もちろんこのまま京都で博士号を取ることで、小さい時の夢を達成したいなと思います。それが現在の仕事ですし。ただそれと平行して、他の分野の人達と関わり続けていたいなという気持ちもあります。宇宙の勉強は、ある意味自分が知りたいからやっているという感覚に近いんですが、それとは別のところで人のために何かしたいなって思うんです。去年のOOOOの活動や、その周りにいる人たちを見てきて、多くの人を巻き込んでいくのに刺激されたんでしょうね。自分で自分の気になる事を勉強すると同時に、社会に対してもっと自分を開いた方が面白いんじゃないかと思います。小さい時から20年間自分に対して育んで来た熱量を、他人の方にも移そうとしているフェーズなんです。

 

> それは、これまでやってきた宇宙とか物理とかを軸に置く形でもなくということですか?

つながっていなくてもいいと思っています。ただ、長い事やってきた事なので当然それを使うことは出来ると思います。なるべくたくさんの人とインタラクトするのが楽しいので、他の分野の人とも関わっていたいですね。

 

> やっぱり人が好きなんですね。

そうですね。でも「人が好き」ってちゃんと言葉にできるようになったのもここ最近の話です。いろんな人と触れ合っていく中で「あーやっぱり自分はこういうのが好きなんだな」と確信できてきたというか。

 

〜「どれだけ多くのことを包摂できるか、多様性を認められるか」という社会です〜

 

> 芸大に行く人が卒業してみんなアーティストになるわけではなくて、いろんな職業に就いていきます。そのいろんなジャンルの中で「アート」の持つ感覚とか、変換の仕方、価値観など、そういうものをいろんなジャンルの中で芽生えさせていくことが重要だと思っていて、それが、芸術を教える大学がある存在理由なんだと思うんです。
きっと他の専門分野を学ぶ場所も同じでデザインを学んだ人がいろんなジャンルの仕事に就いていて、学んだことを活かせて、社会の中で浸透していけば、それはきっととてもいいことです。何かが変わるきっかけにもなるかもしれません。

宇宙にも多分同じことが言えて、子どもたちに宇宙の話をするのが楽しいなと思えるのは、そうした側面があるからだと思うんです。僕も、別に彼らに天文学者になって欲しくて出張授業をした訳ではなくて、ただ、宇宙って面白くって、科学って考え方はすごくって、その魅力をどれだけ伝えられるか、理解してもらえるか、今後彼らがどんな職業に就くか分からないけど、あの場所で植えられた種を持ったまま大人になるかどうかで大分違うと思うんです。

 

> 小さい頃の記憶って、自分が何か判断する時に、忘れていたけどふと思い出す事があったりしますもんね。

子供の頃に感じたこと、体験した事はやっぱり強烈で、それでいろんな事が決定されるってことはよく言われますよね。僕もそのおかげで20年間宇宙に興味を持ち続けられました。

 

> 奥村さんが理想とする社会はどんな社会ですか?

「どれだけ多くのことを包摂できるか、多様性を認められるか」という社会です。時々感じるのは、結構日本って余裕が無いっていうか、同じ物差しでものごとを見すぎていると感じることがあるんです。そういうのが少しずつ変わっていくといいですね。

個人的な経験でいうと、去年あまり研究がうまくいかなくて落ち込んでいたときに、海外の研究者仲間に救われたことがありました。

あの頃は、ずーっと一本のレールしか歩いていないような状態だったんですけど、そこで一時的につまずいてしまった時の挫折感が自分の中でとても大きかったんです。こういうのって程度の差こそあれよくある話で、例えば行きたい大学に行けなくて浪人した瞬間に人生終了って考えてしまう人がいたり、小学校みたいな狭い世界で友達に「○○君とは絶交だ」なんて言われると社会全体に断絶された気持ちになったり。

去年研究会で海外に行った時に感じたのは、海外の人が「一つの正解」とか「みんなが共有している普通」というところから凄く自由に見えたところだったんです。大学を卒業したけど、お金がないので一度働いて、お金を貯めてから大学院にくる人がいたりだとか、もちろん女性研究者もたくさんいて、そういった多様なロールモデルがあるおかげで、一本のレールに強制されることなく、様々なルートを選択しながら研究者をやっているという人を多く見たんです。彼らと話をしていく中で少しずつ自身を回復して、今はあの頃よりもかなり前向きに仕事が出来ている気がします。つまずいてもちゃんと迂回路を見つけてまた同じコースにもどるみたいな感じですかね。

こうした個人の経験をあえて社会全体に広げてしまうと、この10年間って社会全体が「ぐだぐだ」していたと思うんです。信じられるモデルや規範がなくなって「どうしよう」ってなった時に、その場でポップでライトなものに飛びついて「取りあえず今を楽しむ」人もいたと思うんですけど、この先の10年は、逆にそうやって現在のフィクションに埋没していても仕方がないし、とにかく一歩動こうぜっていう風になってくると思うんです。

僕の周りには文化でも政治でも、そういう青臭いことを言う人が多い気がしていて、夢を語るだけで夢を終わらせるのではなくて、現実的にできることから何か進めていこうという空気をすごく感じています。ナイーブに夢を語りながら、それをちゃんと少しずつ進めて行く。これはもちろん僕個人の今後の目標でもありますが、同時に社会全体もそうやって前に進んで行ければいいのかなと思ってるんです。

 

 


OOOO(オー・フォー)
緑川雄太郎、谷口創、Nam HyoJun、Kim okkoによるアートグループ。日本のアートシーンへ鋭く切り込むソリッドな企画やアイドル的なルックスで、2010年­のアート界を賑わせた男子4人組。現在グループとしては活動休止中。

 

2011年10月
聞き手・編集:藤井昌弘、山崎伸吾(e・感性価値研究所)