みなさんと同じように、僕も日々の生活で、
いろいろと、人ともモノともコミュニケーションを取っています。
それはお仕事を通してだったり、プライベートだったり。
新しいつながりだったり、旧知の仲だったり。
刺激を受けたり、ヘコんだり、笑ったり、嬉しかったり、悲しかったり。

僕はそんな中でたまにふと、気になってしまうことがあります。
気になりだすと気になる。靴に入った極小の砂利みたいに、です。
たぶんそれは「意識」ということばで乱暴に括れると思うのですが、
なにぶん極小の砂利的に感じるものですので、言い切ることが出来ません。

松倉くんのエントリで語られる、
学ぼうとする姿勢の件も、僕はこれと相似の関係のような気がしています。

何かに対しての「意識」です。
または、姿勢。はたまた、想い、でしょうか。
それってもはや、ライフスタイルでもあり、
他人のそれを紐解こうとするならば、それは相当な深層までつながっており、
生きるってなによ的な問答にまで発展してしまう危険もはらみ、
僕は違和感を感じていても、なかなか及び腰になってしまったりする訳で。
そこはたぶん、自分で自身の深層にダイブしていくものなのでしょう。

僕のこの、他人に対してのへっぴり姿勢が露呈するエントリで、
みなさんの奥の奥に鎮座されてます「意識」括ったものを、
ぺらっと見直してもらう機会になればいいなーと。
日々がほんのちょっとだけしんどくなる代わりに、
すごく楽しい何かを得れる、ような、そんな気がするのです。

そのとき、自分には強い意識があった!って言う人は、マイ進あるのみ、ですね。
人でもモノでも、仲間と一緒にガンガン進んでいきましょう。
あ、まぁそんな人は日々そういう内面に向き合う作業を
意識的/無意識的に関わらず行っておられると思いますので、
オマエに言われるとかねーよ!と思っておいてください。

で、もし、特にそんなのないよぅーって思った方。
悲観しなくてもいいです。ごく近い周り、を見渡しましょう。
何かあるはずです。誰かいるはずです。
ちょっとだけ、真剣に考え、感じ、想ってみませんか。
僕に僕の役割があるように、あなたにも、それ、が必ずあります。
それはたぶん、日々がほんのちょっとだけしんどくなる代わりに、
すごく楽しい何かを得れる、ような。僕にはそんな気がしてならないのです。