最近、改めて「ICT」の「C」がコミュニケーションであることを再認識する。
日本語訳で「情報通信技術」としてしまうと、なんだか生活感のかけらもない言葉に見えるが、情報に加えて「コミュニケーション」性があることでネットワークを「共同」するための技術ということが表現されている。
コミュニケーションデザイン、人と人、人ともの、ものとこと、それらをつなぐ機能にデザインを加えることでインテリジェンスが生まれアイデアになって広がっていく。ソーシャルメディアやSNSは、ネットワークを通じて情報の共有化をはかり、一方で個体情報の記号化を行っている。メール、ショッピング、検索、これらをWEB上で行う。Twitter、Facebookでコミュニケーションを行う。こうして情報ソースがネットワーク上に蓄積されいく。
我々は未来に向かって、個人情報を含むすべての情報をソーシャルという海の中に投げ込んでいるのだ。Facebookのマーク・ザッカーバーグが語るように「プライバシーは死んだ」と言える。

WEBの発明は、世界の名だたる技術発明と肩を並べる、またはそれ以上のものだ。WEB以前と、WEB後では明らかに人々の生活は変わっていく。民主主義や資本主義といった、現代社会の根幹を成すイデオロギーとも並ぶ発明だともいえる。それゆえに、WEBは世界の共有財産なのである。

WEB後である今日、ソーシャルメディア革命は、foursquare Gowalla Google+などのサービスが新しく生まれ続けることで、ルネサンスや産業革命と同じように人々の生活に変革と新しい価値観をもたらすことは間違いない。

そこで多く語られる言葉の一つに「シェア」がある。「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略」(著/レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース)の中で紹介されているように、「シェア」から、生活の周辺のあらゆるモノや、スキルや空間をインターネットとソーシャルネットワークを通じて、それまでにはなかった多様なビジネスが生まれている。そして持続可能な経済=シェアリング・エコノミーという考え方も生まれている。

では、私たちはいつから「所有」を始めているのだろうか。かつて暮らしの中には共有する空間や思想がが存在していた。そのかつての「共有」する暮らしにはそこで必然的に生まれるコミュニケーションが存在していた。

時間や空間を飛び越えたネットワークは、まったく新しい価値観を連れてくる可能性を秘めている。しかし、そのネットワークで繋がるのはあくまで人と人、人とその周辺に生まれる事象であり、共有はそのための方法/システムであり、テクノロジーである。

3.11をきっかけにTwitterの利用者数が増え、情報をシェアする一般的な日常のツールとして普及している。マスメディアではフォローしきれないほどの必要な情報ソースが増えたことで、オルタナティブな発信メディアが次々に生まれている。

可視化され、「私」さえも共有されかねないソーシャルメディア革命の時代に、人と人の多彩なコミュニケーションは、ネットワークを通じて、リアルな現場で人と人を繋いでいる。