最近、あてもなく車を走らせて見つけた京都内のお寺や神社に行って歴史ある建物やその歴史にふれる事が楽しくなって、神社巡りとかしてるおっちゃん達の気持ちが少し分かりかけてきた今日この頃です。

先日は「嵯峨野巡りの始発点」といわれている山奥にある愛宕(おたぎ)念仏寺に行ってきました。(行った言うより偶然通りがかったんですがw)

ココのスゴいのが境内から山の斜面にズラリと並ぶ千二百体の羅漢像です。
一体ずつまったく違う表情をしていてそれを見ているだけでも、面白いです。

今、京都は紅葉シーズンで有名な紅葉スポットは人だらけで、紅葉見にきたのか人見にきたのか分からないようになるみたいですが、ココはホント静かで時間が止まってるみたいでした。

ぼけ〜と羅漢像を見てたら

なんていうか、普段PCを使ってると分からない事や知らない事をインターネットを使うと何でも知った気、分かった気になってしまう。行った事がない所でも行って分かった気になってしまう。

ネットのニュースも、スポーツの結果も殺人事件も芸能人の結婚も同じ欄に情報として載せられている。それで分かった気になっている。

ホント便利でお手軽だ。もう不便に後戻り出来ない。

不便な事がちょっと便利になった時、便利に感謝した。

便利な事が当たり前になって不便を感じると、感謝を忘れて腹が立つ。

不便に戻った方がイイとは思わない。便利の方がイイに決まってる。

僕も便利に囲まれた中で仕事をしてTシャツ作ってそれを買ってもらって生活している。

均一で表示された情報をキチンと自分で消化して分かった気はやめよう。便利な事と利用してくれた人に感謝を忘れないようにしようと肝に命じた。

そんな事を改めて感じさせてくれた千二百体の羅漢像に感謝です。