「リフサイン・アーカイブス03 -手のチカラを今に伝える職人たち- 岡山高大と岡崎友紀 展」に合わせ、京焼職人の岡山高大さんにインタビューを行いました。伝統産業に携わるようになった経緯や、ものづくりに対する気持ちをお話して頂きました。

 

岡山高大|Takahiro Okayama

1976年、泉涌寺の窯元の家に生まれる。器面に陶製の型を用いて文様を捺し色土を埋める「印花・三島手」技法を得意とし、伝統技法を下地としながらも現代生活に合った作陶をおこなっている。

 

> まず、この世界に入った経緯についてお聞かせ下さい。

家業自体がこの仕事というのが大きなきっかけでもあるんですが、ものを作る事が好きで、高校卒業後すぐに五条近くの渋谷街道にある陶工専門校(旧陶工訓練校)に行こうかなと思っていたんです。家の周りには窯元が何十件もあるんですが、斜め前の住んでおられたベテランの職人さんに「高校卒業したら訓練校に行こうかなと思ってるんや」って話をしたら、陶芸じゃなくていいから美術系の大学に言っておいた方がええよ、って言うてくれるんです。それで美術系の大学に行く事にしました。
その時に大学を卒業したら陶工専門校に行って職人になるという進路を決めました。

大学は成安造形大学のファイバーアートのクラスに行っていました。ファイバーアートってテキスタイルとちょっと違って、そこの先生が言うには「一個の物でも、やかんでもバスでも100個並べたら線になる、そういう広い意味で、ファイバーとか線の作品を作っていきましょう」ってことでした。当時僕は、服を作るとかまったく興味を持っていなかったんですけど、その考え方だったら面白いなと思っていました。
それで4年間大学に行って、その後陶工専門校に2年行きました。そこでは、基本的にろくろと絵付けでクラスが分かれていて、1年目は陶器のロクロ、2年目は磁器のロクロでした。その後に京都市産業技術研究所(旧工業試験場)で1年間釉薬の勉強をしました。

 

> 家業が陶器を作る事をされているということでしたが、わざわざ学校に行かれたのはなぜですか?

訓練校に行くと早いんです。職人を養成するための学校なので、月〜金で朝から夕方までロクロをひいていられるんです。弟子入りだとそうはいきません。ロクロをするまでに何年もかかってしまいます。雇う方としても、基礎的な技術がある人を雇いたいと思っています。今、家で人を雇うとしてもそうなります。

 

> 家が窯元で、陶工専門校に行く方は多いのでしょうか?

僕が通っているころは、跡継ぎ方が多かったです。その方たちはみんな試験場を卒業したら家に入る、または知り合いの所に弟子入りする方がほとんどでした。今は少ないですね。

 

> 大学に行かれた事で、今に繋がっていると思う事はありますか。

芸大って、個性の強い人が多いので出来上がる作品の幅も広く、許容範囲も広いので、それまでの自分はすごく狭い所で動いてたんやなというのが分かりましたね。もっともっと、枠をはみ出た所で作品を作っていかないといけないんやなと思えた事が大学に行って一番ありがたかったことですね。

それと、僕だけかも知れませんが、家が陶器をやっていると固定観念をかなり強く持ってしまいます。ものを作っていて、ご飯茶碗はこういうもんやとか、湯のみはこうやとか、刷り込まれています。それが家の仕事なんで、別に問題というわけではないんですが、日々葛藤があるんです。ものすごく重い物を作りたいと思っても、使うためにはもう少し軽くしないといけないだとか、自分の中でどんどん幅を狭めていきますよね、大学に行ってなかったらもっと狭かったと思います。

 

 

> 形、使いやすさなど、岡山さんが陶器を作る上でもっとも重要に考えている部分は何ですか?

僕は完全に日用食器というのがベースにあります。オブジェとかを作りたいという気持ちがなかなか起こらないんですね。重ね鉢を作っているんですが、それも使えるしオブジェになれるしというので作っています。どうしても「使えるもの」ということを意識してしまいます。どうしてもというより“絶対に”使えるということを前提に作っていますね。

 

> 機能美みたいなこと考えているということですね。

はい、それは常に考えていますね。今は、それとは別に、もうひとつのラインを作っていこうかなとも思って、実際作ってみたりしているんです。今自分のなかにあるのは、同じ人が作ったように見えないまったく違う見え方のするものを作り出したいと思っているんです。三島は僕っぽいって言われる事があるんですが、日用食器としてのベースは守りつつ、それぞれに違うセンスで出せたらと思っています。

 

> 三島という技法を選んだきっかけを聞かせて下さい。

一番最初は注文だったんです。三島って花柄が一番オーソドックスなんですが、それを湯のみに一周だけ押して、そこに緑色とか、ピンクとか入れて作ってほしいという注文がありまして、それが自分で作る三島との出会いだったんです。> それはいつ頃ですか始めて2,3年の頃なんで、28歳くらいだったかと思います。それまでは、自分がいったいどんな物を作っていったらいいかよくわかっていませんでした。仕事の延長上で作っている物に少し手を加えて、作品というよりは商品の見本のような形で出している感じでした。

 

> 三島に出会った時の感想を聞かせて下さい。

ひとつは、小さい模様を一つ一つ押していくっていう作業が、性に合っているというのがありました。それで、いろいろ土とか、三島の中の色とかを変えて作っていました。
一般的な三島って、薄い赤茶色に白いハンコが押してあるものか、グレイに白いハンコが押してあるものか、大体その二種類くらいなんですよ。この色を逆転したらおもしろいかもと思って始めたのが、白地に黒の三島なんです。
尾形乾山の作品とかを見ていても白地に黒の絵の具を塗って描いてあるものがあって、やっぱり白地に黒ってかっこええんやなと、始めたのが今の形になります。
白というか、クリーム色の地に黒の三島を押して、その上に細かいヒビ(貫入)が入ったものを始めました。

もう一つは、28歳の時に市の育成資金を受けて韓国に行ったんですけど、行く事になったきっかけが、三島をやり始めた頃に、うちでパートをお願いしているおばちゃんが“こんなんあるでぇ”って持って来てくれたのが韓国の作家さんの作品が写った写真で、それが、大きな壺に黒の三島をびっしり押して真ん中に花の絵を描いてある作品でした。
その作品を見た時にものすごく衝撃を受けたんです。「僕、この人の作品を見に行かなあかんわ」と思って韓国に行ったんです。やっぱり生で見るとすばらしくて、今は違うんですが、その頃の自分が目指している完成系ってこういう物なのかもって思う所があったんです。それを見れたことが、もうちょっと気張らなあかんなと思うきっかけになりました。

 

> その作家さんの名前を教えて下さい。

李殷九(リ・インキュウ)という方です。韓国に利川(イチョン)陶芸村という所があって、そこにおられるんです。通訳さんがうまく話をつけてくれて、実際にお会いして話をする事ができました。そのときちょうど息子さんが武蔵野美術大学に通っていたらしく、日本語も少し話せて、話が直接出来たというのがすごく良い体験になりました。

 

 

> 今、岡山さんが陶器を作っている上で興味が向かっている先ってどんなことですか?

仕事は別として、自分の作品を作っていくという話の中で言うと、なんか新しいテクスチャーがないかなと、考えています。人がしてへんそうな表現方法とか無いかなと思って、気持ち悪い事でもやり過ぎて怒られる所までいかんと幅が拡がらへんかなと思って、今はそれを一生懸命探してるんです。

 

> 具体的にはどんなことを考えてるんですか?

クロコダイル柄の銀色の皿を作ってみるとか、そういうのが僕の中でひとつのチャレンジなんです。もっと行き過ぎないとあかんのかなとも思います。

 

 

> スイーツのための器を作る企画をされていると聞きました。
そのお話を聞かせて下さい。

わかば会という伝統工芸のいろんな業種の若手の職人さんが集まっている会がありまして、そこで、このケーキにはこっちの皿の方が合うんじゃないかなって話が生まれて、少しずつですが企画をしています。
このわかば会の集まりが無ければ生まれなかったと思うんです。漆、木工、金属、石、陶器、いろんな業種の職人さんが集まっているので、すごい可能性があるなと思いました。僕が個人的な趣味で、職人さんに「こんなん作って」ってお願いして、それに好きなお菓子を載せて写真を撮って楽しむ程度の話だったんですが、3年くらい前のそんな話が、最近になって人に伝わっていくうちにとんとん拍子に進みだした感じです。そのための作品をさっき話したクロコダイル柄の作品でやりたいなと思ってるんです。

 

> わかば会の中で、そういうコラボレーションみたいなことだったり、いろんなことを面白がって、楽しんでいこうって言う雰囲気があったりするんですか?

けっこうみんな興味は持っています。仕事や家族の都合で実際参加出来ない事もあったりしますが、新しい事にはみんな耳を傾けてくれます。

 

> 岡山さんがものづくりをする上で、京都を意識する事ってありますか?

僕が29歳の時に、五条の窯元の仕事をさせてもらったことがあって、そこの人によく言われたのは「昔は五条に注文しといたらどんなもんでもやってくれる、みたいなことを言われてた。どんな注文でもうちは出来ませんって言うのがかっこ悪いから、いろんな技術を持ってるのが京都の五条の焼物の誇りなんや」と。やっぱり自分もどんな注文が来ても出来るようにはなりたいと思ってるんです。それが京都を表しているかどうかはまた別の話なんですけど。

京都の伝統工芸の職人さんって、あんまり気張ってないというか「京都の伝統工芸やってます」みたいな人はあんまりいてない気がします。話してみると偶然僕もやってるんです、みたいなイメージです。たぶん、たくさん職人さんがいてるから当たり前なのか。うちで言うと、こんだけ窯元に囲まれてる環境にあるので、ごく自然体な感じです。

 

 

> 最後に趣味の話をお聞きしたいんですが、スイーツの他に自転車がお好きと聞きました。

はい、漕いでるのが好きなんです。早くなくてよくて、ちっちゃい自転車でもいいんです。どうやら歩くのより早かったら楽しいみたいなんです。徒歩より早かったら、どんなに遅くてもにやにやしながらこいでると思います。
夜中に乗るのも好きなんです。仕事終わって、夜の11時くらいにし出発して、国際会館に行ったり、嵐山に行ったりして1時くらいに帰ってくるんですけど、気持ちがいいですね。そのときはにやにやしてないですよ。

 

 

岡山高大と岡崎友紀 展
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