「リフサイン・アーカイブス -手のチカラを今に伝える職人たち-山本晃久と岡本幸子 展」に合わせ、和鏡職人の山本晃久さんにインタビューを行いました。伝統産業に携わるようになった経緯や、ものづくりに対する気持ちをお話して頂きました。

[山本晃久と岡本幸子 展]
>> http://blog.refsign.net/project/5315.html

自分が関わったものが出来上がってきたのを見たときに、
なんていうか生みの喜びみたいなものがあって、
ものづくりっておもしろいなって感じてたんです。

 

Q いつ頃から関わるようになったんですか?

この仕事をやりだしたのは、大学に行っているときにバイトでまず家の手伝いをしたんですよね。小遣い稼ぎでやり始めたのが関わりだしたきっかけです。

 

Q 最初はどういう作業をされていたんですか?

最初は、一番基本の砂を合わせたりとか、粘土との配合です。この粘土を伸ばしとけとか、これは一体何をやってるんやろ、っていうことばっかりでした。その後に鋳型の型を押す事を教えてもらって、しばらくそれに取り組みました。

 

Q それまでは関わらなかったのには理由がありますか?

僕が他の職人さんと違うのは、僕が家の仕事にまったく興味が無かったのと、家の仕事が何をしているのか知らなかったんです。
小さい頃は工房の近所に住んでいたので、おじいさんの仕事はずっと見ていたんですけど、おじいさんのことをよくお小遣いくれる人くらいにしか思ってなくて、特別な伝統的な仕事をしているということを知らなかったんです。いっさい興味が無かったですね。こういうのはたぶん珍しいと思います。
中学や高校の頃には、仕事に対して漠然と興味が湧いてきていたと思うんですが、その頃には引っ越しをして工房からは遠くなっていたので、夜、家に父親が帰ってきても、何をしてるか分からなかったんです。毎日遅いなとか、忙しい仕事なんやろな、みたいな感覚でしかありませんでした。工房の近くの小学校に通っていましたが、中学校からは家の近所の学校に通っていましたので、工房から遠くなってしまいました。

 

Q そこから大学で手伝うきっかけになったのは、お父さんから誘われたんですか?

そうです。時給がまぁまぁよかったんです。(笑い)

 

Q 大学生のときは、自分の中で継ごうと思っていたんですか?

無かったですね。

 

Q 継ごうと思ったきっかけはどんなことですか?

正直、美術とか苦手で成績もよくなくて、絵も下手で、作ったりするのがどっちかというと嫌いだったんです。細かいことしてるより、身体を動かしてる方が好きだったんです。
それでも結局大学の4年間関わったことで、自分が関わったものが出来上がってきたのを見たときに、なんていうか生みの喜びみたいなものがあって、ものづくりっておもしろいなって感じたんです。でも、この世界、景気がいい方ではないので、そこで微妙に悩んだりもしていました。この仕事をすぐやろうというよりも、この仕事は経済的にどうなんやろ?将来的にどうなんやろ?みたいな不安がありました。

 

Q バイトながらも関わりながら、経済的・産業的ないろんな状況が見えてきたっていうことですか?

というよりも、その当時の僕らが興味ないものを作ってるわけじゃないですか、大学生の頃に一切興味が無かったことを仕事にするってどうなんやろ。というのが漠然とありました。まわりの友達に家の仕事こんなんやねんって言っても、一切興味がないわけじゃないですか。若い人たちに仏具とか信仰とかに興味が無くなってきていて、そこで使う道具を作っていくことへの不安は漠然とあったんです。これからは、みんな興味がなくなって、それ自体無くなっていくものなんじゃないかっていう不安です。

 

Q 例えば、京都にはお寺もたくさんあって、仏具や信仰に関する道具にも需要があるっていう事などは、興味をもって前向きに調べていけば分かることですが、そこに向かう気持ちがまず起こらないといけないですもんね。

そうですね、漠然とした不安だったので何に前向きに調べればいいのかさえも分からなくて、最近は仏壇でも現代仏壇って言って、家具調であったり、シンプルなものになったりもしていて、京都の職人の技術がそんなにいらないものが出てきています。
今の住空間にはそれの方が合うじゃないですか。僕もすんなりそれが分かるじゃないですか。それをこれからどうしていくかっていう課題が難しすぎるって思ったんです。

 

Q いまもその気持ちってありますか?

だいぶ少なくなってきていますが、残ってはいます。どうやって今の空間に僕らの技術をシフトしていくかというのは、なかなか難しい。でもやっていって新しい仕事を生まないと、時代とともに僕らも変わっていかないとあかんなと思いつつも、昔のものをちゃんと守らないと、両方やらないとダメなんで、そんな大変なことをモノづくり嫌いやった僕ができるのかなというのが、むいてないだろうなとは思っていました。

 

Q それでもやっていくっていうのを決めたということですよね。

そうですね、やっぱり残していきたいっていう気持ちは強かったんです。

 

Q それは、家業として代々続いてきたことを残したいっていう気持ちか、もうちょっと広く、日本の歴史の中で培われていったものとしての残していきたいと思ったのかどちらですか?

そうですね、広く伝統の技を残していきたいと思いました。残さないといけないなというのを何となく思っていました。やっぱり、家族の期待っていうのも感じますし、その辺りも含め、なんとかしていきたいという気持ちはありました。

 

Q 作業は何人でやられているんですか?

工場に職人さんが4人いはります。父親も工場で仕事しています。僕がこの工房で仕上げを主にやっていて、鋳造や型の作業をするときは僕も工場に行きます。

 

Q 鏡を作る過程を教えて下さい。

まずは工場で鋳型作りです。鋳型に鏡の裏面の模様をいれていくところから始まります。その模様を入れた型を乾燥させて、合金(銅と錫)を溶かして流し込む、かたまったら砂をばらして、工房に持ってきます。
工房ではやすりかけから始まります。やすりで酸化膜を取って、やすりの目を消すために「せん」っていう道具を使って削っていきます。せんのむらを消すために砥石で研いで、砥石の粗さを消すために炭研ぎで仕上げていきます。まず朴の木の炭で炭研ぎをして、その次に駿河炭で磨きをかけます。そのあとに今はニッケルメッキを掛けます。昔は本研ぎという工程があり、錫を伸ばして入れ込んでいました。

 

Q 型作りから仕上げまで、ひとつのものを作るのにどれくらい期間がかかりますか?

模様があるものだと、2、3か月はかかりますね。模様を押すのに大体1ヶ月くらいはかかります。大枠に木型・金型がありまして、そこに配合した砂を入れて、模様にあった「へら」を選んで押して模様を作っていきます。そのへこましたところが、金属を流し込むとふくらむので、それが羽根や雲になっていきます。
そんな感じで模様を出していくのに、八寸くらいの大きさですと大体1ヶ月くらいはかかりますね。複雑な模様だと2ヶ月くらいかかってきます。彫刻やったら、彫っても見えるんですけど、「へら」でへこました所がどんだけ膨らむか想像してやるので、一個一個の作業にものすごい経験が重要になってきます。これだけ押したらこんな膨らみになるっていうのは、ほんとに経験とセンスが必要です。僕は経験がまだまだ浅いので、考える時間が長いです。こういう細かい表現はどの「へら」使ったらいいんやろっていう「へら」選びも時間がかかります。間違った時の砂の修繕も大変で難しいので、ひとつひとつ慎重にやっていきます。

 

今、世の中の流れが、少しずつ本物を見てくれるようになってきています。
こんなときにこそ、僕ら職人が発信をしていかないといけないと思ってるんです。

 

Q これから一生の仕事としてやっていく上で、伝統的なものを守っていく一方、その技術を使って現代的な物へとアレンジしたりすることもできると思います。今後、伝統的なものと、現代的なものと、どんな風に向かい合っていこうとお考えですか?

比重でいうと、伝統的なものが8割~9割です。それを応用したものは1割くらいで、ほとんど重点を置いていません。業界としては現代的に応用したものをやっていかないといけないと思っていて、僕らもやろうとしています。そういったことをやること自体楽しかったりもします。でも、一番大事なのは伝統的な技を守っていかないと、裏付けがないですよね。現代的なものの中には伝統的な技術を落とし込むことがあまりありません。僕ら鏡師で重要なのは模様をどれだけきれいに押せるかです。

 

Q 良いものの見方を教えて下さい。

鏡は神社だと表を向いているので、裏の模様は見えないところがほとんどですが、博物館だと裏を見せています。その裏の意匠ですとか、技とかに興味を持ってもらえたらちょっと見方も変わってくるのかなと思います。こういう鏡の意匠とかを着物の絵柄に落とし込むことが結構多いんです。今僕が受けている仕事に、逆に着物の図案を鏡に落とし込むというのがあります。
今、世の中の流れが、少しずつ本物を見てくれるようになってきています。こんなときにこそ、僕ら職人が発信をしていかないといけないと思ってるんです。ちゃんと知ってもらって、こういうものもあるんだって、まずは選択肢に入れてもらうことが必要だと思ってるんです。

 

Q 魔境が作れないようになっていたお話を聞きました。その辺りを聞かせて下さい。

そうなんです。魔鏡の技術が一旦途絶えてたんです。僕のおじいさんに魔鏡のを復元して欲しいという依頼がきて、おじいさんは、自分が小さい頃に父親が魔鏡を作っていたのを見ていて、出来ると判断して、思考錯誤して復元することになったんです。それで、僕もおじいさんから教わって今は作れるようになりました。
鏡の仕事はどの工程もすごく難しいんですけど、魔鏡作りはほんとに難しいです。おじいさんからはつまずいた時に見ろと言われてノートを渡さています。今は、自分で作って試行錯誤して、父親や職人さんたちの仕事を見て盗んで、目で盗むっていうのは職人のDNAなんだと思います。

 

今、自分が出せる最高の技術でその仕事に取り組むっていうことが出来る環境を作るのが一番です。

 

Q鏡を作る工程の中でどの部分が一番お好きなんですか?

そうですね、自分では研磨とか仕上げの部分が上手になってきたなと思ってるんです。お客さんの反応が特に古いものを修理したときに「こんなにきれいになるんやな」って言ってもらえるんです。この部分はうちでしか出来ない技術で、かなり自信があります。
最近はお客さんからのリアクションが返ってくるのでやりがいもあるんです。うちにしかできない技術で、かなり高いレベルでできます。実際利益にならないくらい手を入れてるってこともあるんですけど、こだわってやっている部分です。

 

Q これから、こんな仕事がしたいなみたいなことはありますか?

40歳までに技術をどれだけ学べるかだと思っています。どれだけ今持ってる技術を高めていけるかというのと、もう一方で、展示会などの発表の場を作って発信していき、そういうことが出来る体制を作って次の代に繋げることと、その両方をやらないといけないと思っていて今はどっちに時間を使うか悩んでいます。
あと、僕は職人なので自分からこういうものを作りたいとい、こういう仕事がしたいんですっていうのはほとんどありません。自分がしたいことではなく、お客さんが満足してもらえる仕事がしたいと思っています。仕上げて、納めたときに喜んでくれることが一番やなと思います。今、自分が出せる最高の技術でその仕事に取り組むっていうことが出来る環境を作るのが一番です。そういう意味でも発信は必要だと思っています。

 

Q 趣味の話を聞かせて下さい?

音楽と自転車に乗るのが好きです。通勤を自転車にして、乗ってる間に作品や仕事の事考えたりする時間が持てるので好きです。今まではバイクや車だったんですが、その頃は「移動」だったんです。それが自転車にすることによって「考える時間」になりました。そういう自転車の時間が好きです。あえてスローな時間を無理矢理でもつくれたなと思っています。
あと、音楽は昔から好きで、サマーソニックも毎年行っています。フェスが好きなんです。お祭り好きですね。

 

山本晃久 Akihisa Yamamoto

鏡師 1975年生まれ。大学を卒業後、家業に入る。国内で唯一手仕事による和鏡・神鏡・魔鏡を製作する山本合金製作所で、神社の御霊代鏡や御神宝鏡の製作、博物館所蔵の鏡復元等に携わっている。

【和鏡】 古代、祭祀等で使用されていた鏡は神の依代であり、高貴な地位の象徴でもあった。平安時代からは生活用具としても一般に使われるようになり鏡背の文様も各時代の特徴が顕著になる。また、江戸時代に隠れキリシタンたちが礼拝の道具として考案した魔鏡は日本独自の工芸技術として注目されている。