松倉さんは何のお仕事されているんですか?

という、よくある質問をプライベートでもさらりと繰り出されるんですが、
これが結構、悩む。
以前も佐野さんと同じようなトピックで同意見だったのだが、
色々、首突っ込みたがる性格のせいで何やら肩書きが意味不明なものに落ち着いてしまう。

仕事を説明する際に、やはり僕がどんなことを生業にしているのか、
という情報は、特に初見の人にとっては重要な要素であって、
う~ん、一言で説明すると色々、やってます、としか良いようがないです。
というかなり透明度の高い返答になってしまう。

僕ならまだしも、特に今回、お誘いいただいた佐野さんは、
店舗運営やWEB企画、たぶん僕が未だ知る由もないことを色々とやっているわけで
僕のこの悩みなどちっぽけなものなんですが。

ということで、今回は僕が何者かを書こうかな、と。長いです。
だいたい僕個人のブログもそうですが、長いです。二日に分けて読んでください。

前にも書きましたが、名前は「松倉早星(マツクラスバル)」。本名です。
生まれは北海道の富良野という超レアな場所で産声を上げてしまいました。
1983年生まれ、なので今年で26歳になります。大体、30オーバーと見た感じ思われます。

小学校入学で札幌に移り住みます。一度、熊が出たとのことで集団下校する。
というレアな体験もしました。今思えば、集団下校時に熊に襲われても、数名の犠牲が出ている間に他は散れ!的な戦略だったのか、なんて当時の教師の判断をいぶかしくも思ったりします。

家の近くに「芸術の森」という、
森の中に作品を展示していることでちょっと話題になった場所があり、
そこには学校帰りやお休みにちょくちょく遊びに行っていました。
たしか中学くらいに柳宗理のバタフライスツールを目撃。衝撃でした。

「デザイン」っていうものに初めて気付かされた瞬間だったと
今でも鮮明に記憶しています。
(我が家にもバタフライスツールがあります。)

高校は立命館大学の付属校が札幌にでき、勉強嫌いの自分にとっては
世に言うエスカレーター構造が輝かしきロジックと思い、入学。
たいした勉強もせずに音楽と読書に明け暮れました。
通学には1時間半もかかったのでこの3年で読んだ本の数は果てしない数にのぼり、
もともと読書愛が強い松倉家では、壁一面を覆う本棚の壁があり、
毎朝、そこから適当に抜き取っては、読み終えると次の本へ、、、というサイクル。
SFから歴史もの、ベストセラーから、謎の海外作家ものまで読みふけりました。
今でも読書の時間が食事の時間の次に大事な時間でもあります。

高校で今の仕事につながる2冊の本に出会います。

ADC広告年鑑1999と2000が高校の図書館の片隅にサラの状態でありました。
柳さんのインパクトもさることながら、この本で展開されている表現に圧倒的な魅力を感じ、ついうっかり読みふけっていると気がつけば授業を数コマサボっている状態に。
初めて、「広告」というものを意識した瞬間であり、今の自分に流れる源流ともいえるポイントでした。今でもこの2冊は大事に本棚にしまってあります。

ミラクルなエスカレーターシステムおよび、読書愛がもたらした奇跡があり、
(テスト当日に読んでいた村上春樹 著「ノルウェーの森」がテストで出ました。もちろん100点)
立命館大学 産業社会学部情報メディアコースという得体の知れない学部に入学。
故・鈴木みどり教授のクラス。
メディアリテラシーの世界では有名なみどり先生のもとで
情報とは何か、メディアとは何か。ほとんどの授業をサボりつつも、みどり先生の授業は聴き応えがあり、
「松倉君、メディアをもちなさい、なんでもいいから」という言葉で
勢いに任せて仲間内でフリーペーパーを発行(当時はフリーペーパー前夜だった気がします)
卒業まで”ant magazine“というメディアを5000部、
日本主要都市とロンドンに配布していました。
ちなみにそのメディアで初めてインタビューさせてもらったのが、
今回のブログ2期生でもある徳田さんです。笑

立命館には気になる授業だけ出席し、
銀閣寺道あたりに家賃3万円の事務所(6畳一間の1面の壁を黒板にした部屋)を借りて
総勢8名ほどの編集スタッフと共に悪戦苦闘しておりました。


2回生のころから、京都造形芸術大学のASPにて
後藤繁雄さんと出会い、こっそり卒業までの3年間受講させてもらいました。
そこで文字としての表現やエディトリアルの魅力に取り付かれます。
後藤さんの教授部屋に積み重なっている日本では入手困難な作品集や書物を読み漁りました。

立命と京造と事務所を自転車でひた走る4年間。
たくさんの人に会い、たくさんの話を聴く、人生でもっとも充実した時間でした。
後藤さんと出会ってから、できるだけ毎日ブログで書き続けています。
もう何個の散文を書き散らかしたのかも定かではないのですが、1000以上は間違いなく書いています。
1日1mmでも10年やれば、すごいことになると信じて。今も続けています。

就職活動にはまったく興味がわかず、話してみたい企業を8社受けました。
一番魅力的だったのは資生堂のクリエイティブ。今でもあこがれですね。

2006年東京の目黒に拠点を置くベンチャー企業に就職し、
そこでWEBディレクターとして働き始めます。
僕の上司である人間が超有能で毎日が勉強の日々。

転職した今でも師匠である山口さんというクリエイティブディレクターの教えは、
僕のものづくりの基盤となっています。
そして、仕事の進め方やお金のまとめ方、
人としての歩み方を教えてくれた姉御的先輩方、
未だに東京へいってもよく飲みますが、
本当に人とのめぐり合わせに助けられている僕の人生で
この前社で出会った人たちが、僕のほとんどを形成しています。

前社では”2年以内にアワードとって退社”という
かなりなめきった宣言をし、文字通り背水の陣をとったわけですが、
1年目で手がけた仕事が各国のアワードでファイナリストに残り、
結局、宣言どおり2年で次のステップを目指すことに。
“30歳までにカンヌ取れなきゃ引退”というのが今のルール。
2008年にまた京都に舞い戻り1→10designにてプランナーとして勤務しています。

カンヌといわれ広告をやっていない人は「?」かもしれませんが、
よく北野武とかが映画でカンヌ!最終選考とか話題になるじゃないですか。
それの「広告」版があるんですね。ファイナリストだと世界の50人には選ばれているんですが、カンヌでゴールド、シルバー、ブロンズ、というのは、
生きていてもなかなか取れないものなんですね。

まぁ、ただアワードが目標になってはいけない。当たり前ですが。
クライアントとお客さんをつなげるのが「広告」ですよね。
そこだけを考えてベストなコミュニケーションを設計するのが僕らの仕事なんですが、
結果として、アワードという”ご褒美”のようなものがあるわけです。

6月12日に26歳になるんですが、
残り4年で参加できる仕事の数と時間を考えるとかなり切羽詰った状態です。
ただ持論として、同世代と同じような目標を掲げていても意味がないというか、
もっとハイレベルで戦っている人たちと肩を並べて真剣勝負をしたほうが、
広い視点で世界が見れそうな気がしています。

「広告」を介して、お客さんの日常を少しでも彩る。
最近は「体温」を感じるWEBプロモーションということを念頭において仕事をしています。

こんな約26年を過ごし、今日に至るわけですが、
こんな人間が語る「広告」や「仕事」についてのブログになります。
これを通じて、いろんな人と直接コミュニケーションできれば最高だなー
なんてことを考えています。

ということで長々となった2回目の日記。
次からはもっと端的に攻めます。w

ではでは。