私はかれらの所作や行為自体を注意深く見つめた。
動きに意味はなくてもよくて、ただ、持つ、打つ、歩く、かける、どける、
そんなささいな行為に感動するはずだったからだ。
(もちろんその「だった」は大小様々に起こったことは間違いない。)

深夜の高速、みそかつ。
横浜の中華街で食べた朝かゆからここちよい疲労が静かに溜まって行く。
ときにそれはクイックネスにはじける。
疲れも自由も旅が持つ独特の楽しさだ。

旅の目的は横浜国際映像祭に出展されたGRLブースと、
オープニング・イベント「停電EXPO」(http://www.ifamy.jp/programs/single/538/)。
「停電EXPO」のパフォーマーは梅田哲也、神村恵、contact Gonzo、
捩子ぴじん、堀尾寛太、ほか。
会場は天井の高い工場の様な白く明るい空間で、真ん中にある四角い箱の様なレクチャールームと、それを取り囲むロの字型のエントランス。
空間には梅田くんが配置した大きな丸時計、巨大なゴミ袋、めぐらされたロープやホースなどの装置が吊るされたり、置かれたりしてある。
contact Gonzoの面々は段ボール箱(中はからっぽ)を配置しなおしたりと、パフォーマンスのための準備をしているように見える。
観客は思い思いの場所でそんな空間を見るではなく、興味をもって眺める。
楽しい。パフォーマンス/行為はきっともう、始まっている。
沈黙する会場に、contact Gonzoや梅田くんの靴の音、衣擦れが聞こえる。
やがて目を閉ざしたパフォーマーたちが会場をゆっくりと横断する。
不可視なパフォーマーを私たちが見ている。手をかざし、すり足で進み、目を閉ざした彼らはやがて空間に配置された装置や段ボールにぶつかる。または、ぶつかる前にcontact Gonzoや梅田くんによって障害物はよけられる。
目を閉ざしたパフォーマーはロの字型の空間を、観客にもぶつかりながら(よけられもする)不自由に行き来する。
空間がロの字型であるために、観客が見られる景色が限られる。
なのに音だけ見えない向こう側から聞こえるので誰もが動き出す。空間に境界線は無い。
観客もパフォーマーや装置と同じ空間にある。そのため、我々も出演/演出の一部で、見える景色がすべて全体の演出となっている。
会場が暗転(Black Out)された時、その演出を強烈に感じることになった。
わずかな光の漏れや、フラッシュによって見える人影から急にパフォーマーが駆け出す。
contact Gonzoの殴りあいの音は人垣のリングのなかで暗闇に浮かぶ。

おそらくそのほとんどが即興で行われたこのパフォーマンスは見る事と、見られる事を強要され、見えにくさによって音が演出の大きな要素になっている。
そして観客はパフォーマーたちとともに歩く、早足に歩く、思考しながらゆっくりと歩く、やがて歩くのも考えるのも止める。空間は、観客に見なくてもいい自由を与えられている。

やがて空間に灯りが入り、終演へと向かう。劇的なエンディングはどこにもない。
あるものは、不可思議に動く物体と、思考する脳であり、
会場にあるすべての物、人が演出であり、行為と作用によって生まれる現象のための装置となっていた。
不思議な体験/思いをしたことは間違いない。いまはこの不思議な思いが言葉にならない。

夜通し走らせた車窓はやがて見慣れた京都の景色に変わり、旅のエンディングを迎えた。
でも、そこから続く今日がまだ旅の途中な気がする。
ここにも独特の疲労と自由があるからなのかな。


GRL Kyoto http://www.grlkyoto.net/
11/5から15まで「GRL Kyoto BASE」では期間中おいしいごはんが毎日食べられます。

現在下記サイトからBASEのライブ中継がみられます。
http://www.ustream.tv/channel/base-seane